STORIES

さまざまな仕事を通じて成長してきた
ジェイスリー。
創業以来、私たちが紡いできた
物語の数々をご紹介します。

  • ※該当企業様に掲載確認中の画像があります。
    削除依頼はお問い合わせよりご連絡ください。

1 1986年 - 1994年

ワンルームマンションで始まった
小さなデザイン制作会社

1985年10月、当時フリーランスのデザイナーとして活動していた元代表の千坂と元副社長の木下が、
アシスタント1名とデザイナー1名を迎え、渋谷区代々木のワンルームマンションで「Visual Communication Jay」として業務を開始。
その半年後、1986年5月29日に雑誌や販促パンフレットのデザイン会社として
株式会社ジェイスリーの前身となる「有限会社ジェイ」の会社登記を行いました。
1986年といえば、創立の前々日5月27日にファミコンゲーム「初代ドラゴンクエスト」が発売された年。
年末の流行語大賞に選ばれた言葉は「新人類」。まさに従来の価値観が根本から見直され始めた年でもありました。

1986

1986

創業当時はオフセット印刷の出版物が主流。活版印刷では「割付(わりつけ)」と言われていた業務が「レイアウト」になり、この時代にエディトリアル・デザインという分野を確立していきます。
雑誌はビジュアル重視で、平凡出版(現マガジンハウス)の『an・an』や集英社の『non-no』などの女性ライフスタイル誌が大ヒットした時代。当社は、CBSソニー出版(現ソニー・ミュージックソリューションズ)のバイク雑誌『サイクルワールド』やサーフィンの専門誌、アメリカでのファミコンゲームの攻略本『NINTENDO POWER』、NTTのパンフレットなどの誌面デザインをしていました。また、中嶋悟氏が日本人初のF1レーサーとしてデビューして人気が沸騰したモータースポーツ関連のパンフレットなども担当しました。

1990

1990

1988年中頃から縁があったリクルートの『ab-road』のデザインを皮切りに、リクルート発行の情報誌の仕事が増加、社員数も増えていきます。この時代の“デザイナー三種の神器”は、「レター定規とT定規」「製図版」「赤と青の指定ペン」。社内には終日、定規が縦横に動く“カンカン”という音が響いていました。
国内旅行情報誌『じゃらん』には、表紙をはじめとしたアートディレクションや誌面デザインにとどまらず、企画から参加。創刊されるや否や、爆発的な国内旅行ブームが到来します。
社員もさらに増加し、ワンルームで始めた会社は同じビル内に4部屋を借りる状況に。ジェイのデザインは、当時のリクルート以外の情報誌や会員誌にも多大な影響を与え、さまざまな媒体から相談を受けました。

1993

1993

1993年にオフィスを渋谷区恵比寿に移転。リクルート『フロム・エー』などの情報誌、ネコ・パブリッシングの『ホットバイク』など何種類ものバイク雑誌、ジャルパックをはじめとした国内外旅行関係の仕事が増加します。ハーレー・ダビッドソン90周年を記念して出版された写真集『鉄塊の鼓動』(東京FM出版)には、クリエイティブ・ディレクター、デザイナーとして参加し、米国ロケも敢行。
印刷組版環境にはDTP(デスクトップ・パブリッシング)が浸透し、デザイン部門には定規やペンに代わり、アップルコンピュータのMacintoshとDTPソフトQuark XPressが登場しました。高額な導入コスト、業務範囲の拡大になりますが、当社は業務のデジタル教育と投資を行い、DTP化への移行を加速させていきます。

CONTACT

お困りごとはありませんか? 
お問い合わせやご相談は、お気軽に。
新たな価値の共創は、ここから始まります。