創業当時はオフセット印刷の出版物が主流。活版印刷では「割付(わりつけ)」と言われていた業務が「レイアウト」になり、この時代にエディトリアル・デザインという分野を確立していきます。
雑誌はビジュアル重視で、平凡出版(現マガジンハウス)の『an・an』や集英社の『non-no』などの女性ライフスタイル誌が大ヒットした時代。当社は、CBSソニー出版(現ソニー・ミュージックソリューションズ)のバイク雑誌『サイクルワールド』やサーフィンの専門誌、アメリカでのファミコンゲームの攻略本『NINTENDO POWER』、NTTのパンフレットなどの誌面デザインをしていました。また、中嶋悟氏が日本人初のF1レーサーとしてデビューして人気が沸騰したモータースポーツ関連のパンフレットなども担当しました。
1988年中頃から縁があったリクルートの『ab-road』のデザインを皮切りに、リクルート発行の情報誌の仕事が増加、社員数も増えていきます。この時代の“デザイナー三種の神器”は、「レター定規とT定規」「製図版」「赤と青の指定ペン」。社内には終日、定規が縦横に動く“カンカン”という音が響いていました。
国内旅行情報誌『じゃらん』には、表紙をはじめとしたアートディレクションや誌面デザインにとどまらず、企画から参加。創刊されるや否や、爆発的な国内旅行ブームが到来します。
社員もさらに増加し、ワンルームで始めた会社は同じビル内に4部屋を借りる状況に。ジェイのデザインは、当時のリクルート以外の情報誌や会員誌にも多大な影響を与え、さまざまな媒体から相談を受けました。
1993年にオフィスを渋谷区恵比寿に移転。リクルート『フロム・エー』などの情報誌、ネコ・パブリッシングの『ホットバイク』など何種類ものバイク雑誌、ジャルパックをはじめとした国内外旅行関係の仕事が増加します。ハーレー・ダビッドソン90周年を記念して出版された写真集『鉄塊の鼓動』(東京FM出版)には、クリエイティブ・ディレクター、デザイナーとして参加し、米国ロケも敢行。
印刷組版環境にはDTP(デスクトップ・パブリッシング)が浸透し、デザイン部門には定規やペンに代わり、アップルコンピュータのMacintoshとDTPソフトQuark XPressが登場しました。高額な導入コスト、業務範囲の拡大になりますが、当社は業務のデジタル教育と投資を行い、DTP化への移行を加速させていきます。