当社では1992年の『じゃらんde デート』から始まったリクルートのムックシリーズのデザイン企画業務で、多忙を極めていきます。同時にCD-ROMのデザインやインターネット経由の入稿作業を進めるなど、デジタルとアナログの両業務が入り混じった時代を迎えます。巷では、国内・海外旅行ブームは継続し、旅行系雑誌や海外旅行雑誌が隆盛に。リクルートという情報産業の中核を担う企業との取引により、恵比寿のオフィスはまるで不夜城と化します。「24時間戦えますか」が合言葉でした。
1996年にはOAC(社団法人日本広告制作協会)へ加盟し、安定とクリエイティブ・クオリティをアピール。有限会社ジェイ創立から12年を過ぎた1998年、さらなる飛躍を求めて「株式会社ジェイスリー」へ組織と名称変更を行いました。
インターネット社会が幕を開け、当社では日経BPの『日経モバイル』、日経ホーム出版(現・日経BP)の『日経ゼロワン』など、デジタル情報系雑誌の仕事が増加。また、JALグループの旅行会社JALPAKから、海外個人旅行のアイテムを自由に組み合わせる旅行サービス『旅ポン』の制作も依頼されます。
さらに、高齢化社会に即した日航商事(現・JALUX)のシニア向け情報サイト『jらいふでざいん』の制作を受託。リクルートの行動支援サイト『イサイズ』がサービスを開始し、当社はイサイズ・トラベルやウエディングなどのオープンに協力しました。1998年、ハワイの情報をフリーペーパーとサイトで展開する『アロハストリート』プロジェクトに参画。トラベル需要に加え、デジタル、シニアビジネスという時代のプラニングとクリエイティブを担い、クライアントの幅を広げました。